防災・災害

1995 年 1 月 17 日の死者 —— いつ、何で亡くなったか(厚生省 人口動態統計)

1995 年 1 月 17 日(81.3% が当日の午前、77.0% が窒息・圧死)

1995 年 1 月 17 日の兵庫県南部地震による死者 5,488 人(厚生省 人口動態統計)を、死亡日時と死因でそれぞれ幅に比例した帯にした図。1 月 17 日午前が 4,461 人(81.3%)、窒息・圧死が 4,224 人(77.0%)。死因と日時の掛け合わせの表では、挫滅症候群の 15 人が全員 19 日以降に亡くなっていることが読める。年齢階級別の表と、死者数が 6,434 人・6,402 人・5,488 人の 3 通りある理由の表を添えている

この図は、下の 1 枚の YAML から描かれています。手で図形を動かしてはいません。

正本に書いてある決まりごと

ほとんどの人は、夜明け前の数時間に、家の中で亡くなった。

1995 年 1 月 17 日 午前 5 時 46 分、兵庫県南部地震(M7.3)。厚生省の人口動態統計(1995 年 1〜6 月の死亡届のうち「震災による死亡」)で 5,488 人。

人%
1 月 17 日 午前4,46181.3
17 日 全体5,17594.3
窒息・圧死4,22477.0

内閣府の教訓資料集は、監察医の検案をもとに「9 割以上は死亡推定時刻が当日 6 時までで、ほとんどが即死状態だった」と書いている。救助が間に合う時間は、ほとんど無かった。だからこの地震の教訓は「早く助ける」より先に、「家と家具が倒れない」になった。

③の表で、挫滅症候群(クラッシュ症候群)の 15 人は全員が 19 日以降。長く挟まれた手足の筋肉が壊れ、助け出されて血が戻ったときに、その毒が全身に回る。助け出された人が、あとで亡くなる。表の空欄の並びが、病気の仕組みと合っている。(救出の直後に心停止する例もあるので「当日には起きない」とは言えない。言えるのは、この統計では 19 日より前が 0 人だということ。)

6,434 人(全体・震災関連死を含む)、6,402 人(兵庫県・直接死 5,483 + 関連死 919)、5,488 人(人口動態統計)。どれも正しく、数えているものが違う。 この図は死因と日時の内訳がある 5,488 人で描いた。

- 個人。 名前も、場所も、写真も。数だけ- 地図。 震度 7 の帯は、地図の精度を損ねずに描く手段がこの図に無い- 「こうしていれば助かった」。 統計から言えることだけを書く

出典: 厚生省大臣官房統計情報部人口動態統計課「人口動態統計からみた阪神・淡路大震災による死亡の状況」(『厚生の指標』第 43 巻第 1 号、1996 年 1 月。神戸大学附属図書館 震災文庫の所蔵記録で書誌を確かめた)表 3 年齢階級・死因別死亡数及び構成割合、表 4 死亡日時・死因別死亡数。内閣府「阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】人的被害」。兵庫県「阪神・淡路大震災の死者にかかる調査について」(2005 年 12 月 22 日記者発表)。

正本(YAML)

examples/gallery/356-1995年1月17日の死者の死因と時刻.zumen.yaml

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